金石城(かねいしじょう)は、長崎県対馬市厳原町にあった城です。昔は、厳原に行くことを城下に行くと言っていた城下町です。大変栄えた町でした。いまは、城下に行くと言う言葉を時代の流れでしょう耳にしません。金石城は、文禄・慶長の役の際に築かれた清水山城の麓に位置する平城で、宗氏の居城だった。金石屋形を、朝鮮通信使を迎えるために近世城郭に改築したといわれ石垣や堀切が廻らされたが、天守は築かれず1669年(寛文9年)に宗義真によって造られた大手口の櫓門を天守の代用としていた。
天守閣の代用として、築かれた櫓門入り口です。ゴミ一つ落ちていない園内は、訪れた旅行者の印象に刻まれることでしょう。韓国からの旅行者の定番コースです。火災と老朽化で、復元された現在の櫓門です。
万松院宗家文庫に保存されていた模型を基に、1990年(平成2年)旧厳原町の 「平成の城下町づくり事業」の核として、二重の櫓門が再び復元された。城跡は、国の史跡に指定されており、城内で発掘調査された庭園は国の名勝に指定されている。火災で、大正期に復元されている。
櫓門入り口。
歴史ある櫓門がある金石城内の除草作業を手掛けるチャンスを得ました。石垣も保存の対象ですので、傷を付けないようにナイロン刃を使い注意して除草します。
金田城跡付近の観光案内板です。数年前に開館した長崎県立対馬博物館が、隣接します。
御殿後(推定)と思われる付近も作業着手前は、雑草に覆われていましたが作業後綺麗に刈り取りが行われました。
御殿後(推定)の石垣の様子です。
御殿後と思われる箇所の発掘調査も行われています。沢山の土器が、収集されたようです。
対馬博物館入り口につながる通路です。
対馬博物館入り口につながる通路です。芝桜が、植えてあるようで刈り取りを止めています。
どこを歩いても見ても石づくめの金石城内です。高所部は、手作業で刈り取り石肌が見える丁寧な作業です。カズラが、石垣に張り作業が難航しました。
砂利が、敷かれているので小石の飛散には十分注意して来園者に危害を与えないよう配慮しての作業です。
後方は、近代的デザインの長崎県立対馬博物館です。高所作業を伴う危険な作業でしたが、無事金石城内の除草作業が終了できました。訪れる観光客の皆さんからも「いいね!」が頂けそうな環境作りが出来ました。